大江嘉言 (OE no Yoshitoki)
大江嘉言(おおえ・の・よしとき。
? - 寛弘6年(1009年)?)は、平安時代中期の歌人。
父は大江仲宣で、嘉言は大江千古の曾孫にあたる。
一時弓削氏を称したこともあるが、後に大江氏に復姓している。
中古三十六歌仙の一人。
992年(正暦3年)文章生(もんじょしょう)となり、弾正少忠となった。
1009年(寛弘6年)対馬守として現地に赴任し同地で没した。
歌合に作者として出詠するほか、藤原長能・源道済・能因法師などと交流があった。
「能因集」に嘉言が対馬守として下向する際の贈答歌や、嘉言を追悼する歌が載せられている。
「拾遺和歌集」以下の勅撰和歌集に入集。
家集に「大江嘉言集」がある。