山部赤人 (YAMABE no Akahito)
山部 赤人(やまべ の あかひと、生没年不詳)は、奈良時代の歌人。
三十六歌仙の一人。
姓は宿禰。
山部足島の子。
官職は上総国国司。
後世、山邊(辺)赤人と表記されることもある。
『古今和歌集』の仮名序において、柿本人麻呂とともに歌聖と呼ばれ称えられている。
この人麻呂との対は、『万葉集』の大伴家持の漢文に、「山柿の門」(山部の「山」と柿本の「柿」)とあるのを初見とする。
その経歴は定かではないが、『続日本紀』などの史書に名前が見えないことから、下級官人であったと推測されている。
神亀・天平の両時代にのみ作品が残され、行幸などにしたがっての天皇讃歌の多かった。
そのことから、聖武天皇時代の宮廷歌人だったと思われる。
作られた和歌から諸国を旅したとも推測される。
同時代の歌人には憶良や大伴旅人がいる。
『万葉集』には長歌13首、短歌37首が掲載されている。
自然の美しさや清さを詠んだ叙景歌に定評がある。
平安時代中期(『拾遺和歌集』頃とされる)には名声の高まりに合わせて、私家集の『赤人集』(三十六人集のひとつ)も編まれている。
これは万葉集の巻11の歌などを集めたもので、『人麻呂集』や『家持集』とおなじく万葉の赤人の作はほとんど含んでいない。
『後撰和歌集』まではあまり採られることのなかった人麻呂ら万葉歌人の作が、『拾遺集』になって急増するので、関連が考えられている。
作品
赤人の作として、もっともよく知られているのは百人一首におさめられた、
田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
であると思われるが、これは万葉歌を改作したもの。
万葉集には、田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪は降りける、とある。