建礼門院右京大夫 (Kenreimonin Ukyo no Daibu)
建礼門院右京大夫(けんれいもんいんうきょうのだいぶ、保元2年(1157年)? - ?)は、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての女流歌人。
父は世尊寺伊行。
母は大神基政の娘で箏の名手である夕霧。
1173年(承安 (日本)3年)後白河上皇の女御建礼門院平徳子に右京大夫として出仕。
藤原隆信、平資盛と恋愛関係にあり、資盛の死後、供養の旅に出たという。
1195年(建久6年)頃後鳥羽天皇に再び出仕した。
家集に資盛との恋の歌を中心とする「建礼門院右京大夫集」がある。
山路の露の作者であるとする説がある。