志貴皇子 (Imperial Prince Shiki)

志貴皇子(しきのみこ、天智天皇7年(668年)? - 霊亀2年8月11日 (旧暦)(716年10月4日))は飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての皇族。
芝基皇子又は施基皇子(施基親王)、志紀皇子とも記す。
父は天智天皇、母は越道君伊羅都売。

概要

壬申の乱後、天武天皇皇統が皇位を継承する事となった為、天智天皇系皇族であった彼は皇位継承とは全く無縁だった。
政治よりも和歌等文化の道に生きた人生だった。
が、薨去後の宝亀元年(770年)に、聖武天皇の娘井上内親王を后とし、母系では天武系となる他戸親王を儲けていた第6皇子の白壁王が、大臣、参議らの協議により擁立され、光仁天皇として即位した。
その為、春日宮御宇天皇の追尊を受けた。
そして、その系統は現在まで続く事となった。
御陵所の奈良市田原「田原西陵」にちなんで田原天皇とも称される。

清澄で自然鑑賞に優れた歌い手として万葉集に6首の歌を残している。

代表的な歌として、「石(いは)ばしる垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の 萌え出づる春になりにけるかも」(岩の上を流れる滝の上に蕨が芽を出し、春を感じることよ)が有名。

略歴
679年(天武天皇8年)
- 5月5日、吉野の盟約に参加。

689年(持統3年)
- 6月2日、撰善言司。

703年(大宝 (日本)3年)
- 9月3日、四品。

708年(和銅元年)
- 1月11日、三品。

715年(霊亀元年)
- 1月10日、二品。

716年(霊亀2年)
- 8月11日(9日とも)、薨去。

770年(宝亀元年)
- 11月6日、追尊春日宮御宇天皇。

793年(延暦12年)
- 孫にあたる桓武天皇が平安京遷都直前に山陵・田原西陵に参拝。

御歌
志貴皇子の歌は万葉集に6首収められているが、いずれも繊細な美しさに満ち溢れる名歌である。

「石ばしる垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも」
「神なびの石瀬の杜のほととぎす毛無の岡にいつか来鳴かむ」
「大原のこのいち柴のいつしかと我が思ふ妹に今夜逢へるかも」
「むささびは木末求むとあしひきの山の猟師に逢ひにけるかも」
「采女の袖ふきかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く」
「葦辺ゆく鴨の羽交(はがひ)に霜降りて寒き夕へは大和し思ほゆ」

[English Translation]