志都乃石室 (Shizu no iwaya)

志都乃石室(しづのいわや)は神話の大国主命と少彦名命の国造り伝承に由来し、万葉集(巻3-355)に収められている生石村主真人(おいしのすぐりのまひと)の「大汝少彦名乃将座志都乃石室者幾代将経(おほなむち すくなひこのいましけむ しつのいわやは いくよへにけむ)」に詠まれた地。
作者の生石村主真人は続日本紀によれば天平10年に美濃少目となり、天平勝宝2年に外従五位下に叙されたとされる。
志都乃石室の位置は明らかでなく以下のような説がある。

生石神社の石の宝殿(兵庫県高砂市)
静之窟(島根県大田市)
- 平田篤胤の『古史伝』はこの地であると比定する。

志都岩屋神社の岩屋(島根県邑南町)
- 本居宣長の『玉勝間』はこの地であると比定する。

[English Translation]