拾遺和歌集 (Shui wakashu)
『拾遺和歌集』(しゅういわかしゅう)は、古今和歌集・後撰和歌集に次ぐ第三番目の勅撰和歌集で、いわゆる「三代集」の最後にあたる。
一条天皇の代、寛弘三年(1006)頃の成立か。
古来、花山天皇の親撰もしくは院が藤原長能・源道済に撰進させたといわれてきたが、確証はない。
先行する二つの勅撰集と違い、和歌所が置かれなかった。
藤原公任の撰という『拾遺抄』との命名の相似性を考え、それをベースに編まれたと思われる(両者の先後関係については、古来論争が続いて来たが、近代になって拾遺抄から拾遺集へとの説が固着した)。
春、夏、秋、冬、賀、別、物名、雑(上・下)、神楽歌、恋(五巻)、雑春、雑秋、雑賀、雑恋、哀傷の二十巻、約1350首からなる。
雑春・雑恋といった部類を持つ構成はかなり独創的なものである。
「拾遺」の名義は前代の勅撰集に漏れた秀歌を拾い集める意で、その名の通り、この集では紀貫之(107首)をはじめとする古今歌人が引き続き多数入集する一方、柿本人麻呂(104首)ら万葉集歌人が再評価され、大中臣能宣(59首)・清原元輔(48首)・平兼盛(39首)ら後撰集時代の歌人の作が新たに補われた。
また、徽子女王・藤原道綱母・藤原公任などの当代歌人も登場する。
物名部において、卑官の藤原輔相が37首も採られているのも興味深い。
『拾遺集』は総じて平明優美な歌風で、賀歌・屏風歌・歌合など晴れの歌が多いが、殊に恋歌はすぐれ、小倉百人一首に8首も採られている。