殷富門院大輔 (INPUMONIN no Daifu)
殷富門院大輔(いんぷもんいんのだいふ、大治 (日本)5年(1130年)頃? - 正治2年(1200年)頃?)は、平安時代末期の女房・女流歌人。
父は従五位下藤原信成。
母は菅原在良の娘。
後白河法皇の皇女亮子内親王(殷富門院)に出仕した。
俊恵が白川の自坊で主宰した歌林苑(宮廷歌人の集まり)の一人として活躍。
藤原定家・寂蓮・西行・源頼政など多くの歌人と交際があった。
「千載和歌集」以下の勅撰和歌集にも入集し、家集には「殷富門院大輔集」がある。
百人一首
90番 見せばやな 雄島(をじま)のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変わらず
殷富門院大輔(千載和歌集」恋四884)