海道記 (Kaidoki)
海道記(かいどうき)は、貞応2年(1223年)成立と考えられる紀行文。
内容は貞応2年(1223年)4月4日、白河の侘士なる者が京都から鎌倉に下り、17日鎌倉に着き、善光寺参りの予定をやめて、さらに帰京するまでを描いている。
中世三大紀行文(ほかに『東関紀行』、『十六夜日記』)のうちの一つ。
作者未詳。
作者は、近世、寛文4年に本書が『鴨長明海道記』として、慶長2年の細川幽斎の跋を加えて上梓されていることから、古くから鴨長明と考えられてきた。
鴨長明の没年と本書の成立に齟齬をきたすため、鴨長明説は否定されている。
作者は漢籍や和歌の道に通じた人物であることから、源光行を作者とする説もあるが、その経歴と齟齬することから、懐疑的な見方が大勢を占めている。
ただし、本書の一部に虚構を想定するならば、源光行であってもおかしくはない。
また、藤原秀能を作者とする説もある。
近年では、承久の乱で犠牲になった葉室宗行を特に悼み、さらに承久の乱により落魄したかのような記述から、宗行の兄弟である下野守従五位下行長を作者とする説もでている。
下野守従五位下行長は、『平家物語』作者とされる信濃前司行長に比定されている人物で、本書の作者であってもおかしくはない。
いずれの説にせよ、作者を特定するには決め手に欠けるため、とりあえずは作者未詳とする他なく、今後の研究が待たれる。
本書は、四六駢儷体で、対句を頻用している。
漢文の古訓による特殊な用語などが多くみえる。
『和漢朗詠集』や『本朝文粋』さらには仏教語などが頻出しており、紀行文の枠を越えた思想性を含んでいる。
東国は発心修行の適地であるとする。
また作者の意図した一つに歌枕の探訪をあげる事が出来よう。
特に『伊勢物語』ゆかりの故地を尋ね、業平の跡を偲んだ感銘を記している。
また東海一の霊峰富士山や、天中川(天竜川)等各地の景勝の様子を活写している。