狭衣物語 (Sagoromo Monogatari)
狭衣物語(さごろもものがたり)は平安時代、王朝末期の作り物語。
四巻。
作者を大弐三位とする説もあった。
現在では六条斎院宣旨(禖子内親王家宣旨)源頼国女を作者とする説が圧倒的に有力。
成立時期は後冷泉天皇朝の康平頃とも、後三条天皇・白河天皇朝の延久・承保頃ともいう。
『無名草子』では「狭衣こそ、源氏に次ぎてはようおぼえ侍れ」(群書類従本)と賞賛されている。
『源氏物語』宇治十帖の薫に酷似する主人公・狭衣の恋愛遍歴を描き、主題・構成には『源氏物語』の顕著な影響が見える。
しかし、「いずれの御時にか」で始まる『源氏物語』と違い、「少年の春は惜しめども留まらぬものなりければ、弥生の二十日余になりぬ」(有朋堂文庫)と始まる書き出しは、白居易の漢詩や『古今和歌集』の名歌を踏まえ、従妹源氏の宮への遂げられぬ恋に起因する狭衣の煩悶を描き、現実を意識したものとなっている。
飛鳥井姫君の物語や狭衣の即位など、宿命観や幻想的描写が目立ち、主人公の優柔不断さや物語全体を覆う憂愁な雰囲気も『源氏』とだいぶ相違するものである。
異本が多く、室町時代に奈良絵本『狭衣』としても改作された。
また、14世紀に制作された伝土佐光顕筆『狭衣物語絵巻』も残欠6段が現存する。
あらすじ
第一巻
帝(嵯峨帝)の弟・堀川関白の一人息子である狭衣は、兄妹同様に育てられた従妹源氏の宮に密かに恋焦がれている。
源氏の宮が東宮妃に望まれていると知って焦った狭衣は、ある時源氏の宮に想いを告白するが拒絶される。
同じ頃狭衣は帝の愛娘・女二宮と婚約した。
源氏の宮に拒まれて傷心を抱える狭衣は、偶然出会った飛鳥井女君と契って心を癒される。
しかし狭衣は身分低い飛鳥井女君を侮って名前すら明かさなかった。
狭衣の愛を信じられない飛鳥井女君は、狭衣の子を妊娠したまま乳母にだまされて筑紫へ連れ去られ、その途中で入水自殺を図る。
第二巻
飛鳥井女君の失踪に衝撃を受けた狭衣は、頑なに女二宮との結婚を拒絶していたが、ある時彼女を見初めて寝室に押し入り強引に契る。
その結果女二宮は妊娠、母大宮により事実は隠し通される。
狭衣の優柔不断で不誠実な態度に絶望した女二宮は、狭衣の男児・若宮(表向きは大宮の産んだ嵯峨帝の第二皇子とされた)を出産した後出家する。
一方、嵯峨帝が譲位して東宮が即位するが(後一条帝)、新帝への入内を予定されていた源氏の宮は神託により斎院になる。
世の中が嫌になった狭衣は粉河寺に参詣したが、その途上で飛鳥井女君の消息と彼女の生んだ自分の娘(飛鳥井姫君)の存在を知った。
第三巻
狭衣は飛鳥井女君の忘れ形見の姫君に会いたい一心で、姫君を引き取った一品宮の屋敷に忍び込んで騒がれたため、心ならずも一回り年上の一品宮と結婚する羽目になる。
狭衣の真意を知った一品宮も頑なな態度を貫いて打ち解けず、結婚生活は最初から冷え切っていた。
第四巻
心底から俗世が嫌になった狭衣は出家を決意するが、賀茂明神の神託と両親によって出家を阻止される。
その後狭衣は源氏の宮に瓜二つの美しい式部卿宮の姫君と結ばれ、心を癒された。
やがて神託によって狭衣は帝位につき、彼の実の息子・若宮の皇位継承が約束される。
式部卿宮の姫君(藤壺女御)は皇子をもうけて中宮に立ち、娘の飛鳥井姫君も一品内親王になった。
しかし栄光の極みにあっても、狭衣の心は源氏の宮や女二宮を想って憂愁に閉ざされたままである。