猿丸大夫 (Sarumaru no Taifu)
概要
猿丸太夫(さるまるのたいふ、さるまるだゆう、生没年不詳)は、三十六歌仙の一人。
猿丸は名、太夫は官位を表している。
元明天皇時代、または元慶年間ころの人物とも言われるが、本当に実在した人物かどうかすら不明の、謎の人物。
天智天皇の皇子施基皇子、聖徳太子の孫弓削王との説もあるが、伝承上の人物との説が最も多く使われている。
異説として柿本人麻呂説があるが空想の域を出ておらず、研究者らの支持を得られていない。
「三十六人集」の中に『猿丸大夫集』なるものがあるが、後人による雑纂古歌集であり、その中の歌が猿丸大夫が作ったものであるかは検証が必要である。
猿丸大夫作と言われる歌
「もみじに鹿」の取り合わせは、この歌から始まった。
猿丸太夫=柿本人麻呂説
謎の多いこの二人について、哲学者の梅原猛が『水底の歌-柿本人麻呂論』において同一人物との論を発表して以来、少なからず同調する者もいる。
梅原説は、過去に日本で神と崇められた者に尋常な死をとげたものはいないという柳田国男の主張に着目している。
人麻呂が和歌の神・水難の神として祀られたことから、持統天皇や藤原不比等から政治的に粛清されたものとしている。
人麻呂が『古今和歌集』の真名序では「柿本太夫」と記されている点も取り上げている。
三十六歌仙の一人と言われながら猿丸太夫作と断定出来る歌が一つもない(奥山も太夫作ではないとする説も多い)。
そのため、彼を死に至らしめた権力側をはばかり彼の名を猿丸太夫と別名で呼んだ説である。
しかしながらこの説が主張するように、政治的な粛清に人麻呂があったのなら、当然ある程度の官位(正史に残る五位以上の位階)を人麻呂が有していたと考えるのが必然である。
正史に人麻呂の記述が無い点を指摘し、無理があると考える識者の数が圧倒的に多い。