祐子内親王家紀伊 (Yushi Naishinno-ke no Kii)
祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけ の きい、生没年不詳)は、平安時代院政期の女流歌人で、後朱雀天皇の皇女祐子内親王の女房。
一宮紀伊、紀伊君とも呼ばれる。
従五位上民部大輔春宮亮平経方の娘とも、藤原師長の娘である堀河院御乳母典侍紀伊三位師子と同一人物ともいわれており父親は定かではない。
母は「岩垣沼の中将」の作者祐子内親王家小弁(こべん)。
紀伊守藤原重経(素意法師)は兄とも夫とも言われている。
歌合への出詠は1056年(天喜4年)「皇后宮春秋歌合」から、1113年(永久元年)「定通朝臣家歌合」まで確認されている。
『後拾遺和歌集』以下の勅撰和歌集に29首入集。
家集に「一宮紀伊集」がある。
小倉百人一首
72番 音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ(「金葉和歌集」恋下501)