竹取物語 (Taketori Monogatari (The Tale of the Bamboo Cutter))
竹取物語(たけとりものがたり)は、日本最古の一覧とされる物語である。
竹取物語は通称であり、竹取翁の物語ともかぐや姫の物語とも呼ばれた。
成立年、作者ともに不詳。
仮名によって書かれた最初期の物語の一つでもある。
光り輝く竹の中から出てきて竹取の翁の夫婦に育てられたかぐや姫の物語。
『万葉集』巻十六の第三七九一歌には、「竹取の翁」が天女を詠んだという長歌があり、この物語との関連が指摘されている。
成立
成立年は明らかにされていないが、原本は当然現存せず、最古の写本は天正年間(安土桃山時代)のものである。
しかし、10世紀の『大和物語』、『うつほ物語』や11世紀の『栄花物語』、『狭衣物語』などに『竹取物語』への言及が見られ、また『源氏物語』「絵合」巻に「物語の出で来はじめの祖なる竹取の翁」とあることから、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。
通説は、平安時代前期の貞観 (日本)年間 - 延喜年間、特に890年代後半に書かれたとする。
元々、口承説話として伝えられたものが『後漢書』や『白氏文集』など漢籍の影響を受けて一旦は漢文の形で完成されたが、後に平仮名で書き改められたと考えられている。
作者についても不詳である。
作者像として、当時の識字率から庶民は考えられず上流階級に属しており、貴族の情報が入手できる平安京近隣に居住していたと推定される。
また、物語内容に反体制な要素が認められることから当時権力を握っていた藤原氏の係累ではなく、漢学・仏教・民間伝承に精通し、仮名文字を操ることができ、貴重だった紙の入手も可能な人物で性別は男性だったのではないかと推定されている。
以上をふまえ、源順、源融、遍昭、紀貫之、紀長谷雄などの作者説が唱えられているが、いずれも決め手に欠けている。
あらすじ
竹を切って来ていろいろな製品を作って暮らしていた竹取の翁(おきな)とその妻の嫗(おうな)がいた。
ある日、竹取の翁が竹林に出かけていくと、根元が光り輝いている竹があった。
なんだろうと思って切ってみると、中から三寸ほどの可愛らしい女の子が出てきたので、自分たちの子供として育てることにした。
その日から竹の中に金を見つける日が続き、竹取の翁の夫婦は豊かになっていった。
翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで年頃の娘になった。
この世のものとは思えないほど美しくなった娘に、人を呼んで名前をつけることになった。
呼ばれてきた人は、「なよ竹のかぐや姫」と名づけた。
この時、男女を問わず人を集め、三日にわたって様々な遊びをした。
世間の男たちは、高貴な人も下層の人も皆なんとかしてかぐや姫と結婚したいと思った。
その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは竹取の翁の家の周りで過ごしていた。
そのうちに熱意のないものは来なくなっていった。
最後に残ったのは好色といわれる5人の公達で、彼らはあきらめず夜昼となく通ってきた。
5人の公達は、石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂といった。
彼らがあきらめそうにないのを見て、翁がかぐや姫に「女は男と結婚するものだ。お前も彼らの中から選びなさい」という。
かぐや姫は「『私の言うものを持ってくることができた人と結婚したいと思います』と彼らに伝えてください」と言った。
夜になると、例の五人が集まって来た。
翁は五人の公達を集め、かぐや姫の意思を伝えた。
その意思とは石作皇子には仏の御石の鉢、車持皇子には蓬莱の玉の枝、右大臣阿倍御主人には火鼠の裘、大納言大伴御行には龍の首の珠、中納言石上麻呂には燕の子安貝を持ってこさせるというものだった。
どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。
石作は只の鉢を持っていってばれ、車持は偽物をわざわざ作ったが職人がやってきてばれ、阿倍はそれは燃えない物とされていたのに燃えて別物、大伴は嵐に遭って諦め、石上は大炊寮の大八洲という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って取ろうとして腰を打ち、断命。
結局誰一人として成功しなかった。
そんな様が天皇に伝わり、御門が会いたがった。
翁が取り持ったが、彼女は拒否し、一度は姿を見られたものの、姿を消して見せたりして結局御門も諦めさせた。
しかし、彼と和歌の交換はするようになった。
御門と和歌を遣り取りするようになって三年の月日が経った頃、かぐや姫は月を見て物思いに耽るようになった。
八月の満月が近づくにつれ、かぐや姫は激しく泣くようになり、翁が問うと「自分はこの国の人ではなく月の都の人であり、十五日に帰らねばならぬ」という。
それを御門が知り、勇ましい軍勢も送った。
そして当日、子の刻頃、空から人が降りてきたが、軍勢も翁も嫗も抵抗できないまま、かぐや姫は月へ帰っていく。
別れの時、かぐや姫は御門に不死の薬と天の羽衣、文を贈った。
しかし御門はそれを駿河国の日本一の一覧高い山で焼くように命じた。
それからその山は「不死の山」(後の富士山)と呼ばれ、また、その山からは常に煙が上がるようになった。
物語としての性格
この作品には、かぐや姫が竹の中から生まれたという竹中生誕説話(異常出生説話)、かぐやが3ヶ月で大きくなったという急成長説話、かぐや姫の神異によって竹取の翁が富み栄えたという致富長者説話、複数の求婚者へ難題を課していずれも失敗する求婚難題説話、帝の求婚を拒否する帝求婚説話、かぐや姫が月へ戻るという昇天説話(羽衣説話)、最後に富士山の地名由来を説き明かす地名起源説話など、非常に多様な要素が含まれている。
にも関わらず、高い完成度を有していることから物語、または古代小説の最初期作品として評価されている。
多くの要素を含んでいるため、他作品との類似性ないし他作品からの影響が指摘されている。
竹取物語は、異界から来た主人公が貧しい人を富ませた後に再び異界へ去っていくという構造から成り立っており、構造的には羽衣伝説と同一である。
このほか、中国の典籍(『後漢書』『白氏文集』など)との類似点も多数指摘されており、これらの影響を受けていると考えられている。
平安時代後期の『今昔物語集』にも竹取物語と同様の説話(巻31「竹取の翁、女児を見つけて養う語」)が採集されているが、求婚者への難題は3題のみであり、月へ帰る夜も十五夜でなく、富士山の地名由来譚も登場しない、『竹取物語』より簡略された内容である。
漢籍などを参照したと考えられ、完成した内容を持つ『竹取物語』とは異なり、今昔所収の説話は口頭伝承されてきた「竹取の翁の物語」の古態を伝えているのではないかと想定されている。
竹取物語に似た外国の民間伝承としては、例えば中国四川省のガパ蔵族羌族自治州に伝わる「斑竹姑娘」(田海燕『金玉鳳凰』1961年(中国)に収載)がある。
その内容は、竹の中から生まれた少女が、領主の息子たちから求婚を受けたが難題をつけて退け、かねてより想いを寄せていた男性と結ばれるという話だが、中でも求婚の部分は宝物の数、内容、男性側のやりとりや結末などが非常に酷似している。
登場人物と時代
かぐや姫・老夫婦・御門などは架空の人物だが、実在の人物が登場していることも本作品の特徴である。
5人の公達のうち、阿倍御主人、大伴御行、石上麻呂は実在の人物である。
また、車持皇子のモデルは藤原不比等、石作皇子のモデルは多治比嶋だっただろうと推定されている。
この5人はいずれも壬申の乱の功臣で天武天皇・持統天皇に仕えた人物であることから、奈良時代初期が物語の舞台に設定されたとされている。
主人公のかぐや姫も、垂仁天皇妃である迦具夜比売(かぐやひめ、大筒木垂根王の女)との関係や、赫夜姫という漢字が「とよひめ」と読めることからから豊受大神との関係について論じられるなど、様々な説がある。
由来の地
竹取の翁は、物語の中でかつては「さぬきの造(みやつこ)」と呼ばれていたとある。
ここから、物語においては大和国広瀬郡散吉(さぬき)郷(現奈良県北葛城郡広陵町)に竹取の翁が居住していた、とするのが通説となっている。
ほかにも日本各地に竹取物語由来の地と名乗る地域があり、竹取物語(かぐや姫)をテーマにしたまちづくりを行っている。
また以下の7市町では「かぐや姫サミット」という地域間交流が定期的に開催されている。
静岡県富士市
奈良県広陵町
京都府向日市
香川県長尾町 (香川県)
岡山県真備町
広島県竹原市
鹿児島県宮之城町