美々津 (Mimitsu)
美々津(みみつ)は、宮崎県日向市の地名。
住居表示では美々津町。
耳川(美々津川)河口の港町である。
歴史
江戸時代には、内陸から耳川で運ばれた木材などの積換え港として栄えた。
明治時代の廃藩置県直後の短期間、美々津県県庁が置かれた。
町村制下では美々津村、1889年からは美々津町が置かれたが、1955年日向市に市町村合併された。
1986年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。
交通
美々津駅
東征伝説
神武東征出発の地との伝説が残っている。
ただし、記紀には美々津もしくはそれと同定できる記述はない。
古事記には日向国とのみあり、日本書紀には記述がない。
伝承
伝承によれば、神武天皇の出航日は旧暦8月1日である。
(日本書紀によれば旧暦10月5日である)
神武天皇はこの日の昼に出航の予定だったが、風向きが変わったため早朝に繰り上げ、「起きよ、起きよ」と家々を起こして回った。
このことから、旧暦8月1日には起きよ祭りが開かれる。
時間がなかったので着物のほつれに気づいても直す暇がなく、立ったまま縫わせた。
そのためこの地を「立縫いの里」と呼ぶ。
住人たちは出航に合わせて餅を作る予定をしていたが、急遽、小豆と餅米を一緒について渡した。
これを「つき入れ餅」と言い、今に至るまで美々津の名物となっている。
立磐神社には、「神武天皇御腰懸磐」がある。
神武天皇が出航の際にこの岩に腰掛け指揮した。
社名の「立磐」もこれに由来し、神武天皇と航海神の住吉三神を祭神とする。
紀元2600年記念
1940年、紀元2600年記念行事の一環として、日本海軍協会、大日本海洋少年団、大阪毎日新聞社の主催で、おきよ丸が建造された。
神武東征の航跡をたどり、美々津から大阪市中之島 (大阪府)まで航海し橿原神宮に神楯を奉献した。
続き1942年、「大日本帝国海軍発祥之地」石碑と両爪錨の像が立てられた。
碑文は米内光政内閣総理大臣・海軍大将の筆による。
連合国軍占領下の日本に碑文が一部連合国 (第二次世界大戦)により破壊されたが、現在は修復されている。