藤原長方 (FUJIWARA no Nagakata)

藤原 長方(ふじわら の ながかた、保延5年(1139年) - 建久2年3月10日 (旧暦)(1191年4月12日))は、平安時代末期の公卿・歌人。
父は権中納言藤原顕長(「夜の関白」藤原顕隆の子)。
また母は藤原俊忠女であるため、藤原俊成の甥、藤原定家の従兄に当たる。
室は少納言信西(信西)女など。
子息に藤原宗隆、藤原長兼、藤原兼高などがある。

治承5年(1181年)、権中納言。
「八条中納言」と称される。
寿永2年(1183年)、従二位に昇叙。
後に出家。
千載和歌集に初出。

家集に『按納言長方集』、日記に『禅中記』(尊経閣文庫蔵)がある。

百人秀歌(小倉百人一首の原撰本)
紀の国の 由良の岬に 拾ふてふ たまさかにだに 逢ひ見てしがな

[English Translation]