蝉丸 (Semimaru)

蝉丸(せみまる、生没年不詳)は平安時代前期の歌人、音楽家。
古くは「せみまろ」とも読む。

百人一首にその句が収録されているので知られているが、その人物像は不詳。
宇多天皇の皇子敦実親王の雑色、醍醐天皇の第四皇子などと諸伝がある。
また、仁明天皇の時代の人という説もある。

逢坂の関に庵をむすび、往来の人を見て下記のような和歌を詠んだという。
「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」(百人一首の札では “行くも帰るも分かれては” となっている)。
このため、逢坂の関では関の明神として祭られる。
また、源博雅が逢坂に3年間通いつづけて遂に8月15日 (旧暦)夜に琵琶の秘曲『流泉』『啄木』を伝授されたともいう(『今昔物語集』)。
盲目の琵琶法師だったという説もあり、一方で盲人ではなく、単に乞食であるとする伝承もある。
和歌は、上記のものが「後撰和歌集」に収録されている他、『新古今和歌集』『続古今和歌集』にも三首収録されている。
また、蝉丸に関する様々な伝承は『今昔物語集』や『平家物語』などにも登場している。

能に『蝉丸 (能)』(4番目物の狂女物)という曲がある。
逆髪という姉が逢坂の関まで尋ねてきて、2人の障害をもった身をなぐさめあい、悲しい別れの結末になる。
この出典は明らかでない。

生没年は不詳であるが、5月24日 (旧暦)(または月遅れで新暦6月24日)が「蝉丸忌」とされている。

蝉丸に関する史跡

関蝉丸神社(せきのせみまるじんじゃ)

- 滋賀県大津市逢坂山

蝉丸の墓

- 福井県越前町には蝉丸の墓と伝えられる石塔がある

[English Translation]