一条実通 (ICHIJO Sanemichi)

一条 実通(いちじょう さねみち、天明8年8月2日 (旧暦)(1788年9月1日)-文化_(元号)2年5月25日 (旧暦)(1805年6月22日))は、江戸時代後期の公卿。
左大臣一条忠良(後に関白)の嫡男。
弟に一条忠香・久我建通がいる。
清源院と号する。

享和元年(1801年)に元服して、従五位下左近衛権少将に任ぜられ、その年の内に従四位下左近衛権中将に、更に翌年には正四位下へと昇進する。

享和3年2月19日 (旧暦)(1803年4月10日)、従三位に昇進して公卿に列する。
文化元年(1804年)には権中納言兼左衛門督に任じられる。
しかし、翌年に18歳の若さで病死した。
このため、弟の忠香が実通の養子として一条家を継ぐ事になった。

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