三善長衡 (MIYOSHI no Nagahira)

三善 長衡(みよし の ながひら、仁安 (日本)3年(1168年)- 寛元2年3月25日 (旧暦)(1244年5月3日)は、鎌倉時代初期の官人。
三善行衡の子。
平安時代末期の数学者三善為康の養子三善行康を祖父とする。

算博士・主税寮・主税頭・陸奥国国司などの官職を歴任する一方で、当初は摂関家、後に西園寺家の家司となり、西園寺公経の信任を受けて同家の所領経営などにあたる。

承久の乱開戦直前に後鳥羽上皇によって公経が囚われると、秘かに鎌倉に使者を送って、上皇の挙兵計画と京都守護伊賀光季の殺害を知らせた。
また、鎌倉幕府が淀川を越えると京都入りの手引きをしたと伝えられている。

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