三条公房 (SANJO Kinfusa)
三条 公房(さんじょう きんふさ、治承3年(1179年) - 建長元年8月16日 (旧暦)(1249年9月23日))は鎌倉時代の公卿。
三条家は藤原北家閑院家流で清華家。
父は左大臣三条実房。
母は藤原経宗の女。
弟に姉小路公宣、正親町三条公氏、三条公兼、三条公俊の他、天台座主になった公円、公豪、石山座主になった公深らがいる。
室は中山忠親女。
子に三条実親・三条実平・実雲・実誉・三条有子(後堀河天皇中宮・安喜門院)・性助法親王母(後嵯峨天皇後宮)・九条忠家室らがいた。
浄土寺相国と呼ばれ、三条家が清華家となる基礎を築いた。
寿永2年(1183年)正月に叙爵される。
頭中将を経て、正治2年(1200年)3月に権中納言に任ぜられる。
以後昇進して、建保3年(1215年)12月に内大臣となる。
建保6年(1218年)、順徳天皇のもとで従一位太政大臣に任ぜられる。
承久3年(1221年)12月上表して辞任。
嘉禎元年(1235年)9月に出家し法名を空寂とした。
建長元年(1249年)8月16日、71歳で薨去。