下津俸庵 (SHIMOZU Boan)
下津俸庵(しもづ ぼうあん、元亀元年(1570年) - 寛永8年5月19日 (旧暦)(1631年6月18日))は江戸時代前期の武士。
公家久我通堅の三男。
別名は久我祖秀、下津宗秀。
通称は将監、棒庵。
もともとは鹿苑寺の住職であった。
しかし、武芸を好み、還俗し、下津俸庵と称した。
肥後国熊本城主加藤清正に仕え、3000石を与えられた。
寛永8年(1631年)5月19日死去、享年62。
長男下津宗正は加藤家の改易により、細川氏に仕えることになった。
次男亀谷通尹は朝廷に出仕した。
三男東久世通廉(異説もある)も朝廷に出仕した。