中山信吉 (NAKAYAMA Nobuyoshi)

中山 信吉(なかやま のぶよし、天正5年(1577年)- 寛永19年1月6日 (旧暦)(1642年2月5日))は、水戸藩附家老。

来歴

1577年、小田原北条氏家臣・中山家範(勘解由)の次男として生まれた。
中山氏は武蔵国入間郡(現在の埼玉県飯能市付近)に本拠のある武藏七党の一つ。
北条氏が武蔵国を押さえると家臣団に組み込まれる。

1590年、小田原征伐における八王子城攻防戦で家範は討死するが、戦後、兄照守とともに徳川家康に召し抱えられ、信吉は小姓役(1500石)として仕えた。
父子ともに八條流馬術の名手。

1607年、家康の11男頼房が下妻10万石に配されるに伴い、特に頼房に附属されて家老(6500石)に任じられる。
1609年、頼房の水戸転封により1万5000石に加増。
1616年には従五位下備前守に叙任、1621年には2万石に加増される。
翌1622年、常陸松岡(現在の茨城県高萩市)を居館を構えた。

伏見城内での盗賊捕縛や駿府城大火時における頼房救出など、信吉の正直な性格や人柄が家康の厚い信任を得ていたものと思料される。
また、水戸藩主の後継として光圀を将軍秀忠に推挙したと伝えられる。

1642年死去。
享年65。

[English Translation]