中島錫胤 (NAKAJIMA Masutane)
中島 錫胤(なかじま ますたね、1830年1月2日(文政12年12月8日 (旧暦)) - 1905年(明治38年)10月4日)は、明治時代の官僚。
徳島藩藩士。
徳島県徳島市佐古 (徳島市)で生まれる。
またの名を中島永吉。
明治維新後に錫胤と名乗る。
東京都豊島区に墓碑がある。
経歴
1844年 湯島聖堂にて家老の稲田氏に従うため江戸に出る。
1851年 京都の老儒である中島椋隠の門に入り養子となり中島永吉と称した。
1852年 金子孫二郎、高橋多一郎らと関わったため桜田門外の変に関係したと投獄されたが赦免になる。
1869年 兵庫県知事となる。
1884年 元老院議官となる。
1889年 山梨県知事となる。
1896年 男爵を授爵。
貴族院 (日本)議員に勅撰される。