久我通平 (KOGA Michihira)
久我 通平(こが みちひら、建仁3年(1203年) - 嘉禄2年(1226年))は、鎌倉時代の公卿。
土御門天皇(83代)・順徳天皇(84代)・仲恭天皇(85代)・後堀河天皇(86代)の四代にわたり仕え、官位は正三位越後権守まで昇る。
父は太政大臣久我通光。
母は権大納言藤原宗頼の娘。
弟に大納言久我通忠。
元久2年(1205年)に叙爵。
以降累進して、侍従・右近衛少将・左近衛中将・因幡権介・春宮権亮を経て、承久元年(1219年)従三位に進み、公卿に列する。
承応3年(1221年)越後権守となり、貞応元年(1222年)には正三位に進む。
その翌年、21歳の時に高野山に昇って出家した。