久我通誠 (KOGA Michitomo)
久我 通誠(こが みちとも、万治3年1月27日 (旧暦)(1660年3月8日) - 享保4年7月7日 (旧暦)(1719年8月22日))は、江戸時代前期から中期の公卿。
初名は時通、通縁、通規。
主に霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の三代にわたり朝廷につかえ、官位は従一位内大臣まで進んだ。
父は久我広通。
母は伏見宮貞清親王の王女・梅子女王。
兄に久我通名。
正室に千種有維の娘。
息子に久我惟通。
養女に伊達吉村室がいる。
病弱な兄に代わり久我家の嫡男となった。
寛文3年(1663年)に叙爵。
以降累進し、侍従や左近衛中将を経て、延宝3年(1675年)に従三位となり公卿に列した。
踏歌節会外弁・権中納言・権大納言・神宮伝奏・踏歌節会内弁などをつとめた。
宝永5年(1708年)には東山天皇の中宮幸子女王の中宮大夫となった。
同年右近衛大将。
宝永6年(1709年)から正徳 (日本)元年(1711年)までの間内大臣をつとめた。
この間従一位に昇進。