久米広縄 (KUME no Hironawa)

久米広縄(くめのひろただ、生没年不詳)は、奈良時代中期の歌人。
姓(カバネ)は朝臣。

天平17年(745年)時点で従七位上馬寮の官職にあったことが、『正倉院文書』に記述されている。
その後、天平20年3月頃に越中国の掾として赴任し(『万葉集』巻18)、天平勝宝3年(751年)8月頃まで在任した。
そのときの越中守が大伴家持で、広縄は家持のもとで歌の筆録を行ったと考えられ、それが『万葉集』巻18となった。
この頃、広縄は家持及び越前介内蔵縄麻呂らと歌宴を共にしたり、布勢水海(現在の富山県氷見市の十二町潟)に遊んだりした。
また天平感宝元年(749年)5月と天平勝宝3年(751年)8月に正税帳使として上京している。

『万葉集』には長歌1首・短歌8首が入集している(18-4050・4053、19-4201・4203・4209・4210・4222・4231・4252)。

[English Translation]