久米部正親 (Masachika KUMEBE (久米部 正親))
久米部正親(くめべ まさちか、天保12年4月17日 (旧暦)(1841年6月6日)- 明治43年(1910年)9月25日)は、摂津国大阪出身の新選組隊士。
伍長。
軍目付。
粂部とも。
維新後は猪野忠敬と名乗る。
陸軍中尉。
元治元年(1864年)に新選組へ入隊。
慶応4年(1868年)に戊辰戦争が勃発し、鳥羽伏見の戦いで負傷するが、甲州勝沼の戦いにも参戦。
会津戦争では軍目付を勤めた。
如来堂で新政府軍の猛襲を受け、山口二郎(斎藤一)ら旧新選組は離散。
久米部は敗走を続けて、同年10月、銚子で降伏した。
釈放後、明治政府に陸軍士官として出仕する。
明治43年、仙台で病死した。
享年70。