九条忠基 (KUJO Tadamoto)
九条 忠基(くじょう ただもと、興国6年/貞和元年(1345年) - 応永4年12月20日 (旧暦)(1398年1月8日))は、南北朝時代 (日本)の公卿。
従一位。
関白。
父は九条経教、母は内大臣三条実忠の娘。
弟に九条則継、九条満教の他尊経、孝円、経覚、仁意がいる。
異母弟九条満教を養子にした。
正平 (日本)12年/延文2年(1357年)従三位に叙せられる。
左大臣などを歴任した後、天授 (日本)元年/永和 (日本)元年(1375年)12月27日 (旧暦)従一位関白に就任、天授5年/康暦元年(1379年)8月22日 (旧暦)辞職。
応永4年(1397年)12月20日 (旧暦)没。