九条忠教 (KUJO Tadanori)
九条 忠教(くじょう ただのり、宝治2年(1248年) - 正慶元年/元弘2年12月6日 (旧暦)(1332年12月24日))は鎌倉時代の公卿、従一位・関白、通称は報恩院殿。
父は九条忠家。
九条教実の孫。
正室は西園寺公相の娘、側室は二条道良の娘。
子に九条師教、九条房実、二条兼基室。
近江国にあった藤原不比等の別荘跡に忠教が現在の安楽寺 (長浜市)を建てる。
弘長2年(1262年)1月5日 (旧暦)叙従三位に任官。
正安元年(1299年)、平安時代の京都六条河原にあった源融公邸跡地を歓喜光寺歴史に寄進して、忠教が現在地に善導寺を移らせて、歓喜光寺とした。
延慶 (日本)2年(1309年)に忠教は出家して、戒名を円阿と称する。