京極高景 (KYOGOKU Takakage)
京極 高景(きょうごく たかかげ、文化 (元号)8年(1811年) - 文久3年7月20日 (旧暦)(1863年9月2日))は、丹後国峰山藩の第10代藩主。
肥前国島原藩主・松平忠馮の六男。
正室は山口弘致の娘。
子は京極高富(長男)。
官位は従五位下、右近将監。
幼名は滝之進。
先代藩主・京極高鎮が天保5年(1834年)に死去したため、その養嗣子となって後を継いだ。
しかし天保の大飢饉で多数の餓死者を出し、さらに天保の改革で商業的な悪影響を受けるなどして、藩政は多難であった。
嘉永2年(1849年)3月7日、長男・高富に家督を譲って隠居する。
文久3年(1863年)7月20日、江戸で死去した。
享年53。
法号:成徳院行誉高景道完。
墓所:京都府京丹後市峰山町吉原の安泰山常立寺。