伊勢貞藤 (ISE Sadafuji)
伊勢 貞藤(いせ さだふじ、永享4年(1432年)? - 延徳3年9月14日(1491年)?)は室町時代の武士。
京都伊勢氏(山城伊勢氏)の一族。
伊勢貞国の子。
政所執事伊勢貞親の弟。
通称は八郎。
官位は備中守。
号は瑞笑軒、黙存居士。
法名は常喜。
画、連歌にも優れた有職家で、室町幕府で要職を務めたが、8代将軍足利義政と対立関係に陥り、伊勢国に出奔した。
早雲の父説
江戸時代以降は北条早雲と混同されてきたが、別人とされる。
また伊勢盛時(北条早雲)と北川殿(今川義忠の室)の父親とも言われていたが、研究の結果盛時らの父は備中伊勢氏の一族伊勢盛定であることが明らかになってきたようだ。