伊福部都牟自 (Ifukube no tsumuji)
伊福部都牟自(いふくべのつむじ、生年不詳 - 斉明天皇4年(658年)3月11日 (旧暦))は因幡国の古代豪族、伊福部氏の人である。
経歴
延暦3年(784年)に伊福部富成が編纂した同氏の系譜である『因幡国伊福部臣古志』によれば、父伊福部久遅良(くぢら)と母熊媛(くまひめ)との間の子で、同氏の26代目当主にあたる。
孝徳天皇の(大化)2年(646年)、初めて水依評を設置、それと同時に評督に任ぜられて小智冠が授けられた。
翌3年(647年)に小黒冠が、同5年(649年)には大乙下が授けられた。
その後、斉明天皇4年に大乙上に昇り、同年正月には水依評を壊して高草郡を設置、同年3月11日 (旧暦)に死去した。
子は、同族の女である伊比頭売(いひづめ)との間に伊福部国足(くにたり)、味野の伊和氏の女、小宮刀自(こみやとじ)との間に伊福部与佐理(よさり)、伊福部与曽布(よそふ)の3子がいた。
国足は法美郡の、与佐理・与曽布の2人は邑美郡の郡領となった。
なお、評・郡の設置年については、『国府町誌』が「意図的に吉祥年を選んで立評の年にあてている」と指摘するように検討の余地がある。
高草郡設置に関しても『古志』には「始壊水依評、作高草郡」とあって、水依評がそのまま高草郡になったのか、水依評を法美・邑美の2郡に分け、別に新たに高草郡を設けたのかで説が別れている。
いずれにせよ、もし『古志』に記す高草郡設置が事実であれば、建郡の最古例となる。