佐藤正 (陸軍草創期) (Tadashi SATO (Incipient period of the Japanese Army))

佐藤 正(さとう ただし、嘉永2年6月1日 (旧暦)(1849年7月20日) - 大正9年(1920年)4月27日)は、明治時代の日本の大日本帝国陸軍軍人。
階級は陸軍少将、位階は従二位功四級。
広島県広島市出身。
歩兵第18連隊長、第3代広島市長、宮中顧問官等を歴任する。

経歴

西南戦争従軍の後歩兵将校として累進し、明治17年仙台鎮台参謀に就任。
明治21年5月22日から休職し、明治21年9月13日歩兵第24連隊長として復職。
明治24年11月24日歩兵第18連隊長に就任し、明治25年11月1日陸軍大佐に進級し日清戦争に従軍する。
明治28年3月4日平壌攻略戦の最中銃弾を受け重傷を負う。
この怪我が元で左足切断となり、明治28年3月7日休職。
明治28年(1895年)、10月20日退役と同時に陸軍少将に進級する。

軍を退いた佐藤は明治29年(1896年)1月から同年4月迄広島市長に就任、明治31年11月29日宮中顧問官に就任する。
その後東亜同文会幹事長・愛国婦人会事務総長を歴任し、大正4年(1915年)には修道中学校・修道高等学校総理に就任する。

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