冷泉為和 (REIZEI Tamekazu)
冷泉 為和(れいぜい ためかず、文明 (日本)18年(1486年) - 天文 (元号)18年7月10日 (旧暦)(1549年8月3日))は室町時代の公卿、歌人。
冷泉家(上冷泉家)の当主。
父は冷泉為広。
子に冷泉為益、広橋兼真(広橋兼秀養子)らがいる。
官位は正二位大納言。
法名は静清。
しばしば東国へ下向していたが、駿河国の今川氏との関係が深く駿河での在国が長かった。
今川氏より今川の名字の使用を許されたとも伝わる。
今川氏の依頼により、相模国の後北条氏や甲斐国の武田氏のもとで滞在し、歌会などを催している。
今川氏は天文6年(1537年)に武田氏との甲駿同盟を結び後北条氏とは敵対している(河東の乱)。
為和はこの時期を契機に甲斐への出向が非常に多くなり、今川氏の外交使節的立場の人間であったと考えられている。
天文17年には駿河で出家し、駿河において薨去。
歌集に『為和卿集』がある。