冷泉為村 (REIZEI Tamemura)
冷泉 為村(れいぜい ためむら、正徳 (日本)2年1月28日 (旧暦)(1712年3月5日) - 安永3年7月29日 (旧暦)(1774年9月4日))は、江戸時代中期の公家・歌人。
父は上冷泉家の冷泉為久。
正室は藤谷為信の娘。
子に冷泉為泰、三室戸光村、入江為良、娘(舟橋則賢室)、娘(山科敬言室)、娘(堤敬長室)、娘(高倉永範室)、娘(町尻量原室)らがいる。
冷泉家中興の祖とされている。
1721年(享保6年)霊元天皇から古今伝授をうけた。
霊元天皇の勅点などの添削をうけた和歌懐紙が存在するといわれる。
1758年(宝暦8年)に正二位、翌1759年(宝暦9年)権大納言にいたるが、1770年(明和7年)に落飾している。
法号は「止静心院殿寂源澄覚」。
歌集に「冷泉為村卿家集」、著書に「樵夫問答(しょうふもんどう)」がある。