加藤景正 (KATO Kagemasa)

加藤 景正(かとう かげまさ、仁安 (日本)3年(1168年)? - 建長元年3月19日 (旧暦)(1249年5月3日)?)は、鎌倉時代前期の陶工で、瀬戸焼の祖とされる。

通称は四郎左衛門(しろうざえもん)。
これを略して藤四郎(とうしろう)とも呼ばれた。
号は春慶(しゅんけい)。
加藤景廉の弟と伝わるが、その実像については不明な点が多い。

一般的な説では、貞応2年(1223年)に道元とともに南宋に渡り、5年後に帰国の後、全国を放浪した後に尾張国の瀬戸で陶器に適した土を見つけて窯を開いたとされている。
子の加藤基通も藤四郎を名乗ってその家は12代にわたって続いたとされ、現在も愛知県瀬戸市には景正を祀った陶彦神社が存在する。

その一方で、瀬戸で茶入が焼かれたのは室町時代であるとされ。
景正の作品とされるものでも制作年代に疑問を持たれているものもある。
その一方で瀬戸で釉薬を用いた陶器製造が開始されたのは鎌倉時代前期にまで遡るとする発掘結果も報告されており、景正自身あるいはそのモデルとなった人物がこの時期に瀬戸焼の基礎を構築した可能性も否定は出来無いとされている。

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