千葉満胤 (CHIBA Mitsutane)

千葉 満胤(ちば みつたね、1359年(正平 (日本)14年/延文4年)- 1426年7月12日(応永33年6月8日 (旧暦)))は、南北朝時代 (日本)から室町時代前期にかけての武将。
千葉氏の第14代当主。
第13代当主・千葉氏胤の子。
母は新田義貞の娘。
官位は従五位下、千葉介。

1365年9月、父の死によりわずか7歳で家督を継いだ。
1381年、小山義政の乱に際しては、鎌倉公方の足利氏満の命により、下野国の小山義政を攻撃した。
1416年8月、上杉禅秀の乱に際しては、子の千葉兼胤・馬加康胤らとともに上杉禅秀(禅秀)に与して鎌倉公方・足利持氏追放に加担した(『鎌倉大草紙』の記録を信じれば、首謀者とされる上杉氏憲・足利満隆の兵力がそれぞれ2千騎・1千騎であったのに対して8千騎を動員したという)。
ところが、これに怒った京都の将軍・足利義持の命を受けた今川範政・上杉房方らを中心とする幕府の軍勢が鎌倉に攻めて来る。
1417年1月まで満胤は禅秀と共に懸命に戦ったが、敗れて禅秀は自害し、満胤は降伏した。
このとき、一命は助けられている。
しかし隠居して政界から退くことを余儀なくされた。

1426年6月8日、68歳で死去し、後を子の千葉兼胤が継いだ。

[English Translation]