千葉頼胤 (CHIBA Yoritane)
千葉 頼胤(ちば よりたね、1239年12月16日(延応元年11月20日 (旧暦)) - 1275年9月7日(建治元年8月16日 (旧暦)))は、鎌倉時代中期の武将。
千葉氏の第8代当主。
第7代当主・千葉時胤の子。
第9代当主千葉宗胤、第10代当主千葉胤宗の父。
亀若丸。
千葉介。
1241年、父・時胤が死去したため、わずか3歳という幼少で家督を継いだ。
1247年、宝治合戦がおきると、幕府の命令で一族の千葉秀胤の一派が滅ぼされているが、当時頼胤は幼かったため、父の兄弟である千葉泰胤ら一族の者が任を代行した。
1249年、香取神宮の遷宮に際して正神殿・一鳥居などを造営するに功を挙げた。
しかしどうも頼胤は博打を好む人物だったらしく、1250年に幕府より博打禁制の命令が出されている。
元寇がおきると異国警固番役のために出陣し、元 (王朝)軍と戦ったが、傷を負い、建治元年(1275年)8月16日に37歳で死去。
後を子の千葉宗胤が継いだ。