南淵年名 (MINABUCHI no Toshina)
南淵 年名(みなぶち の としな、大同 (日本)3年(808年) - 貞観 (日本)19年(877年)4月8日 (旧暦))は平安時代初期の公卿。
正三位、大納言。
弘仁14年(823年)に南淵朝臣を賜った南淵永河の子。
あるいは永河の兄弟・南淵弘貞の子とも言われる。
天長9年(832年)文章生となる。
承和 (日本)8年(841年)従五位下。
以降、筑前国、尾張国、信濃国、伊予国等の国司や式部大輔、民部卿、右衛門督などを歴任し、貞観14年(872年)従三位中納言に進む。
貞観18年(876年)大納言、貞観19年(877年)正三位。
参議・左大弁・勘解由長官の任にあった貞観8年(866年)に応天門の変が起こり、藤原良縄とともに伴善男の尋問に当たった。
その学識の高さをもって清和天皇の信任厚く、『貞観交替式』や『日本文徳天皇実録』の編纂作業に携わった。
没年となった貞観19年(877年)には、小野山荘に大江音人、藤原冬緒、菅原是善といった知識人を招き、本邦初の尚歯会を開催したことでも知られる。