吉川経義 (KIKKAWA Tsuneyoshi)
吉川 経義(きっかわ つねよし、天承2年/長承元年(1132年) - 建久4年(1193年))は、平安時代から鎌倉時代の武将。
駿河国の豪族であり、鎌倉御家人。
父は入江景義(藤原維清の曾孫)。
子に吉川友兼。
妻の父は佐竹昌義。
吉川氏は藤原鎌足の孫で、藤原南家藤原武智麿の4男・藤原乙麻呂の流れを汲む、入江氏の一族である。
藤原維清が駿河国の入江荘を所領としたことにより“入江氏”を名乗った。
入江氏の発展に伴い、入江景義の嫡男・経義は寿永2年(1183年)に源頼朝から駿河国吉河荘を得た際に“吉川氏”(もしくは吉河・吉香)を名乗るようになる。
この後、“吉川”と名前が固まるのは鬼吉川と呼ばれた名将・吉川経基の頃である。
建久4年(1193年)に死去。
子の吉川友兼が跡を継ぐ。