吉田兼煕 (YOSHIDA Kanehiro)

吉田兼熈(よしだかねひろ、1348年-1402年)は、南北朝時代 (日本)の神祇をつかさどる官人、吉田神社社務。
父は卜部兼豊。
1375年(永和元年・天授元年)それまでの宿禰を改め朝臣の姓を賜った。
吉田卜部氏の中興の祖とされる。

1378年(永和4年・天授4年)室町幕府3代将軍足利義満が室町第に移ったことから、それまで名乗っていた室町をはばかって、社務を務める吉田を家名とした。
1386年(至徳3年・元中3年)それまでの父祖の官位の例を超えて従三位に叙され、公卿に列せられた。
1392年(明徳3年・元中9年)には南北朝合一に向けての交渉にあたった。

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