和田常盛 (WADA Tsunemori)
和田 常盛(わだ つねもり、承安 (日本)2年(1172年) - 建保元年(1213年))は、鎌倉幕府の御家人。
左兵衛尉。
和田義盛の嫡男、和田朝盛の父、朝比奈義秀の兄。
経歴
弓の名手だったと伝わり、将軍源頼家、源実朝に仕えた。
建仁3年(1203年)の比企能員の変には父と共に追討軍に参加した。
建保元年(1213年)の和田合戦でも一族と共に戦い、討死した。
享年42。
逸話
正治2年(1200年)9月に源頼家が鎌倉付近の小壺の浜で、御家人の子弟たちと笠懸し、船を出して酒宴を催していた。
そのとき、弟・義秀が水練の達者と噂されたため、その特技を披露するよう命じた。
将軍の命で義秀は海に飛び込み、10回往還しながら海底に潜り、三匹の鮫を捕獲して将軍に献じたという。
将軍頼家が絶賛し、弟・義秀に陸奥国ウマを賜った。
すると、この名馬は常盛自身が所望していたため、常盛は立ち上がり、相撲ならば弟には負けないと言い出し、砂浜で相撲の対決した。
ところが、双方とも大力でなかなか勝敗が決しなかったため、止むなく北条義時が間に入って引き分けにさせた。
しかし、これを恥じた常盛は着衣せずに乗馬して、立ち去ってしまったという。
義秀は兄の行為を大いに恥じるも、まわりは大笑いしたという。