唐橋 (大奥女中) (Karahashi (a maid housed in the inner rooms of the shogun's palace called O-oku))
唐橋(からはし、生没年不詳)は、江戸幕府大奥女中。
名は春。
正二位権官中納言高松公祐の長女、母は滋野井冬泰の娘。
文化 (元号)元年(1804年)に将軍家継嗣・徳川家慶の御簾中として輿入れした有栖川宮家の喬子女王付の小上臈として西ノ丸大奥に入った。
しかし、徳川家斉の御台所・広大院付の上臈御年寄となり、茂姫の側近を勤めた。
のち茂姫の意により、徳川家斉の娘で水戸徳川家の徳川斉脩に嫁ぐ事になった峰姫付の上臈となった。
そして、唐橋は峰姫に従って水戸徳川邸に入った。
京都の公家の出であった。
また絶世の美女として知られていた。
そのため、峰姫付きとして水戸藩邸に入った途端に、藩主の舎弟であった徳川斉昭に言い寄られて妊娠してしまい京都へ帰洛する。
この出来事がきっかけで大奥は水戸嫌いとなったと言われている。
そして、後に斉昭の息子・徳川慶喜が14代将軍に就けなかったきっかけになったとも言われている。
別説
三田村鳶魚の取材によって大奥で権勢を振るったという姉小路の姉妹にあたる花野井と同一人物であるという説が流布している。
しかし『高松家譜』に高松公祐の娘と記載されており、『橋本家譜』には花野井の記述があるため別人だろう。
唐橋と花野井は従姉妹だとする説もあるが、根拠などは不明である。
創作中での唐橋
宮尾登美子『天璋院篤姫_(小説)』では姉小路の妹で大奥の大人物として登場する。
しかしこれは筆者の創作であり、天璋院時代に唐橋はすでに大奥を出ており、当時に同名別人を示す史料も残っていない(ただし一部書籍では実在とするものもある)。
また、司馬遼太郎の『最後の将軍』では、14代将軍継嗣問題の渦中にあった頃、慶喜の正室一条美賀子の老女(御年寄)とされている。
また、慶喜と斉昭との手紙のやりとりで政治臭を出来る限り消すために、政治とは無縁の唐橋を使いに出したところ、斉昭に手篭めにされた事になっている。