土佐光信 (TOSA Mitsunobu)
土佐 光信(とさ みつのぶ、永享6年(1434年)? - 大永5年5月20日 (旧暦)(1525年6月10日)?)は、室町時代中期から戦国時代 (日本)にかけての絵師。
土佐広周の嗣子であるが、実は土佐光弘の子という。
土佐派中興の祖とされる。
室町幕府8代征夷大将軍足利義政の御教書によると、1469年(文明元年)に絵所預に輔任されている。
右近将監を経て、1496年(明応5年)には刑部大輔に任じる旨の口宣案(くぜんあん)が出され、絵師としては最高の位を得た。
公家や武家、寺社のため多くの作品を描き、大和絵の題材・技法・様式を拡大した。
土佐(常盤)光長、土佐光起とともに土佐派三筆と称される。
作品には「星光寺縁起」のほか「清水寺縁起」、「北野天神縁起」など数多くの作品が残っている。