坊門忠清 (BOMON Tadakiyo)
坊門 忠清(ぼうもん ただきよ)は、鎌倉時代前期の公家。
父は坊門信清(内大臣)。
母は藤原定能(権大納言)の娘。
同母兄に坊門忠信。
妹に西八条禅尼(源実朝正室)のほか、後鳥羽天皇と順徳天皇の女房となった妹2人など。
生涯
治承2年(1178年)1月27日に正六位上・豊前権介に叙任したのをはじめとして順調に昇叙していった。
兄の忠信は権大納言であり、妹たちがいずれも天皇・将軍に嫁いでいたことから当時の朝廷の有力者であった。
そのため、実朝没後の承久3年(1221年)5月に起こった承久の乱では後鳥羽天皇に与して幕府軍と戦ったため、戦後に処罰された。
弟の忠清も兄の罪に連座して失脚し、以後の行方は不明である。
年譜
※日付=旧暦
1178年(治承2年)1月27日、正六位上・豊前権介
1179年(治承3年)11月18日、従五位下
1198年(建久9年)1月30日、阿波守
1199年(正治元年)12月10日、尾張守
1204年(元久元年)8月8日、正五位上
1207年(承元元年)11月29日、従四位上
時期不明=左兵衛佐・右少将・播磨守など。