堀景山 (HORI Keizan)
堀 景山(ほり けいざん、元禄元年(1688年) - 宝暦7年9月19日 (旧暦)(1757年10月31日))は、江戸時代中期における儒学者・医師(儒医)。
曾祖父は藤原惺窩門人堀杏庵で、父は儒学者・医師堀玄達。
名は正超(まさのぶ)。
字は彦昭・君燕。
通称は禎助。
生れは京都。
儒学と医術を父に学び、後に曽祖父ゆかりの広島藩に仕える。
朱子学者であったが、古文辞派や国学にも精通しており、荻生徂徠と親しく、また樋口宗武とともに契沖の著書の刊行にも尽力した。
京都に遊学していた本居宣長に儒学を教えた事でも知られており、景山と樋口が刊行した契沖の『百人一首改観抄』刊本の鈴屋蔵書(宣長の蔵書)が今日まで伝えられている。
著書には「不尽言」がある。