堀田正賓 (HOTTA Masazane)
堀田 正賓(ほった まさざね、享保元年(1716年)- 宝暦8年10月18日 (旧暦)(1758年11月18日))は、近江国堅田藩の第4代藩主。
佐倉藩堀田家分家4代。
播磨国龍野藩主・脇坂安照の四男・脇坂安利の次男。
母は井原氏。
正室は奥平松平忠暁の娘。
側室に橋本氏。
子に堀田正富(長男)、娘(本庄道堅正室)、娘(堀田正貫正室のち津田信之継室)、娘(三枝頼音室)。
官位は従五位下、若狭国守。
名は正実とも。
幼名は岩之助。
享保20年(1735年)、先代藩主の堀田正永が若死にしたため、養子となって後を継ぐこととなった。
大番頭となる。
宝暦8年(1758年)10月18日、43歳で死去し、後を長男・正富が継いだ。
法号は天宝元仲覚海院。