外山光顕 (TOYAMA Mituaki)
外山 光顕(とやま みつあき、慶安5年7月7日 (旧暦)(1652年8月10日) - 元文3年4月13日 (旧暦)(1738年5月31日))は、江戸時代前期から中期の公卿。
日野家の分流の公家外山家の祖にあたる人物。
主に霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の三代にわたり朝廷に奉仕し、官位は正二位権大納言まで昇っている。
初名は宣勝。
一字名は仙。
父は日野弘資。
兄に日野資茂、弟に豊岡有尚、日野輝光、豊岡弘昌がいる。
子に外村光和(従二位権中納言)、長沢資親(幕府高家)、豊岡光全(従三位中務大輔)がいる。
万治3年(1660年)に叙爵してから累進し、貞享2年(1685年)に従三位となり公卿に列する。
左兵衛権佐、参議、歌踏節会外弁、権中納言などを歴任し、享保16年(1731年)に権大納言となった。
和歌や書画に精通していた。