多自然麿 (O no Jinenmaro)
多 自然麿(おおの じねんまろ、生年不詳 - 仁和2年9月16日 (旧暦)(886年10月16日))は平安時代初期の雅楽の大家。
「おおの・しぜまろ」「おおの・じぜまろ」とも読む。
神武天皇の子の神八井耳命(かむやいみみのみこと)の後裔と伝える家系に生まれる。
太安万侶(多安万呂)の子孫。
雅楽と右舞を創始し、39年間にわたって雅楽の一者(いちのもの)の座を占め、今日まで宮中に伝わる神楽の形式を定める。
嘉祥元年(848年)、右近衛将監(うこんえのしょうげん)となる。
貞観 (日本)5年(863年)、宿禰(すくね)の姓(かばね)を賜わる。
子孫は現代に至るまで楽人の家として宮廷に仕え、数多の雅楽家を輩出した。
その中には、多忠亮(おおの・ただすけ)のようにクラシック音楽の世界で活躍した者や、多忠修(おおの・ただおさ)のようにジャズの世界に進んだ者もいる。