大炊御門冬忠 (OINOMIKADO Fuyutada)
大炊御門 冬忠(おおいのみかど ふゆただ、建保6年(1218年) - 文永5年9月9日 (旧暦)(1268年10月16日))は、鎌倉時代中期の公卿。
主に後堀河天皇(86代)から亀山天皇(90代)の五朝にわたって仕え、官位は正三位内大臣まで昇った。
父は内大臣大炊御門家嗣。
母は藤原基宗の娘。
妻は藤原長宗の娘、二条資季の娘。
子に太政大臣大炊御門信嗣がいる。
寛喜3年(1231年)に叙爵。
侍従・周防介・左近衛少将・左近衛中将を経て、暦仁2年(1238年)に従三位となり、公卿に列する。
その後も権中納言・権大納言を経て、弘長元年(1261年)に大納言、右近衛大将となった。
さらにその翌年に左近衛大将。
文永2年(1265年)から文永4年(1267年)の間には内大臣となった。
しかし文永5年(1268年)には腫物・痢病により出家し、以降は香隆寺入道と称されるようになった。
同年のうちに薨去。
享年51。