大炊御門経秀 (OINOMIKADO Tsunehide)

大炊御門 経秀(おおいのみかど つねひで、宝永8年3月1日 (旧暦)(1711年4月18日) - 宝暦2年11月15日 (旧暦)(1752年12月20日))は、江戸時代中期の公卿。
中御門天皇(114代)、桜町天皇(115代)、桃園天皇(116代)の三朝にわたって仕え、正二位内大臣まで進む。
父は大炊御門経音(権大納言)。
母は上杉綱憲(米沢藩主)の養女(吉良義央の娘)。
弟に鷲尾隆煕(権大納言)がいる。
室は左大臣醍醐冬煕の娘。
子に右大臣大炊御門家孝がいる。

正徳 (日本)2年(1712年)叙爵し、以降清華家当主として早いスピードで累進し、侍従・左近衛少将・左近衛中将を経て、享保9年(1724年)に従三位に達して公卿に列した。
その後も踏歌節会外弁・権大納言を経て、延享4年(1747年)に右近衛大将・右馬寮御監となる。
寛延2年(1749年)に内大臣に就任するも辞職。

[English Translation]