大炊御門経音 (OINOMIKADO Tsunenari)
大炊御門 経音(おおいのみかど つねなり、天和 (日本)2年12月7日 (旧暦)(1683年1月4日) - 正徳 (日本)4年4月13日 (旧暦)(1714年5月26日))は江戸時代前期の公卿。
おもに霊元天皇(112代)・東山天皇(113代)の2代に仕えた。
官位は正二位権大納言。
大炊御門経光の子内藤義竜の子。
大炊御門信名の養子に入り、藤原北家藤原師実流の清華家、大炊御門家20代当主となった。
貞享3年(1686年)に叙爵し、以降累進して元禄9年(1696年)に従三位となり公卿に列する。
元禄12年(1699年)には権中納言となり、元禄13年(1700年)には正三位に昇進。
元禄14年(1701年)には踏歌節会外弁をつとめた。
宝永3年(1706年)に従二位となり、宝永5年(1708年)には東山天皇中宮幸子女王の中宮権大夫に就任。
宝永6年(1709年)には権大納言に任じられ、正徳4年(1714年)まで在職した。
この間の正徳2年(1712年)には正二位にすすんだ。
正室は米沢藩主上杉綱憲の養女(高家吉良義央の娘)。
子に大炊御門経秀、鷲尾隆凞(鷲尾隆冬養子)がいる。